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特集 Para Sports vol.1

車いすバスケの古澤拓也選手
パラ大会へ日の丸への思い語る

JWBF(日本車いすバスケットボール連盟)関東ブロック
「パラ神奈川スポーツクラブ」所属・古澤拓也さん

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車いすバスケの古澤拓也選手
パラ大会へ日の丸への思い語る

競技用車いすを駆使したスピード感や華麗なターン、転倒するほど激しくぶつかり合う迫力で、車いすバスケットボールは東京2020パラリンピックでも花形競技として注目を集めています。その日本代表の有力候補で、横浜市在住の古澤拓也選手(23)=桐蔭横浜大学3年=に話を聞きました。古澤選手は、JWBF(日本車いすバスケットボール連盟)関東ブロックの社会人チーム「パラ神奈川スポーツクラブ」に所属し、ポイントガードとして活躍しています。

車椅子バスケとの運命の出会い
「野球より好きになれた」

小学生までは野球少年だった古澤さん。11歳の時に脊椎空洞症という合併症の進行を止める手術を受け、車いすユーザーになりました。スポーツ好きな息子の気持ちを案じた母に連れられて行ったのが、車いすバスケットボールの体験教室でした。そこで出会った講師のいる「横浜ドリーマー」に入会したものの、体の小さな子供にとって車いすを操作しながらのプレーは難しく、「今ほどのめり込んではいなかった」と言います。しかし「チームでは子供だった僕を対等な選手として接してくれました。少しずつできることが増え、野球と同じくらい好きになれた」とチームに感謝。車いすバスケに熱中し始めることになります。

落選の悔しさを糧に奮起
念願の日の丸を背負う

2013年「IWBF(国際車いすバスケットボール連盟)U23世界車いすバスケットボール選手権 アジア・オセアニア予選」で、アンダー世代の代表選手として初の国際舞台を経験。14年には17歳にして日本代表強化指定選手の選考合宿に初召集されるなど、将来有望な若手選手として期待を集めました。しかし同合宿で24名の指定枠から落選、15年には強化選手に選出されるも代表に選出されず、その間に同世代の選手が代表入りを果たしました。アンダー世代の選抜から遠のく時期も重なり「落とされる人もいることを強く感じました」と厳しい現実に直面。「すごく悔しかったし、根っからの負けず嫌い。だから続けられた」と練習に打ち込み、飛躍する転機としました。


17年のU23世界選手権では主将に指名され、アジア・オセアニア予選を突破。カナダで開催された世界選手権では「キャプテンの役目は日本を勝たせること」と強い気持ちで挑みました。「日本代表として勝つ責任がある」とチームメートを鼓舞し、プレーでも個人賞「オールスター5」に選出される活躍でチームをけん引、目標だったベスト4を果たしました。19年「IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップス」で、念願の日本代表として初出場。「U23代表とは違う重みを感じましたが、日の丸を背負うことは同じ。ただ、日本の車いすバスケットボール界を背負ってやるという誇りはその頃から持つようになった」と新たな自覚が芽生えたと言います。

インタビューに応じる古澤さんの写真

東京パラリンピックへ
「まずは選ばれることから」

車いすバスケットボールは、パラリンピックの第1回ローマ大会から正式種目とされ、欧州にはプロリーグも存在します。ボールの大きさやコートの面積、ゴールの高さなど、一般的なバスケットボールと基本的には同じルールですが、障がい状況に応じて選手の持ち点(1.0点~4.5点)が定められ、コート上の5人の持ち点が合計14.0点以内とする制度があります。競技用車いすでダッシュ、ストップ、ターンを繰り返し、激しい攻防やスピーディな展開が見所。古澤さんは「会場で見てもらえると魅力が分かると思いますし、きっとはまるはず。ぜひ会場で応援して欲しいです」と話しています。

「自分のストロングポイントはボールハンドリング。特にドリブルには自信を持っていて、代表の中でもその役割を求められていると思います」と古澤さん。「たくさんの本数を打って積み重ねた」と体に染みつけたスリーポイントシュートも大きな武器です。世界的プレーヤーとなることが目標という古澤さんは「東京パラリンピックは、世界と自分の現在地がわかる大会だと思う」と見据えています。練習や試合の日程はほぼ毎日組まれ、日本代表の合宿や遠征も月2週間ほど。「まずは選ばれることから」と夢に向かってボールを追いかけています。

パラ神奈川スポーツクラブの選手の写真
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